ううん、まあ最近色々話題になってるようですが。
モノ作りしている人間、発言する人間にとっては名前ってのはまず第一に自分はこれに対して責任を持つということの表明だということ。
名無しであるということは当然その出したモノや発言に対する責任を全部あるいは一部放棄しているということ。これにはある種の身軽さによるフットワークの軽さは得られるとは思うものの、ある程度以上のものを出すには名前による責任を自分自身に与えることは不可欠だと思う。
とりあえず自分にとっての名前ってのはこういうものと言っていいのではないかと。

まあ、自分の名前と実質に対してのギャップなんてのは誰でも多かれ少なかれ抱えているものだと思うし。例えば、自分など、名前だけならある程度は知ってる人は多くなってきたと思う。「陽子が好きな変な奴」程度の認識で。ただし、そうやって私のこと知っている人の恐らく大部分は私の作品は読んだことは無いだろうと思う。(これはイベントでの本の売れ行きからしてほぼ疑う余地無し)
とはいえ、実際世間という奴のある物に対する認識なんてのは所詮その程度であるとも言える訳で。そこにはどうしてもある程度の割り切りというものが必要になると思う。
自分のことを知っているなら作品についても知っている
自分の作品を知っているなら自分についても知っている
少なくとも不特定多数の人に対してそれを期待するのは始めから諦めておいた方が精神衛生上よろしいのではないだろうかと思う次第で。

ううむ、例え普段考えていることであっても、文章にしてみるとなかなか上手く表現できないものだなあ。とりあえずは思考の叩き台として上げておこう。