公開二日目で、三度観て参りました。
とりあえず、頭の中がまどか新編のことでいっぱいになりすぎてヤバいので、ここで一旦吐き出させていただきたく思う次第であります。

※この連作記事を徹底加筆修正の上収録し、書き下ろし記事と短編小説を加えた同人誌を冬コミコミケ85)にて発行します。
冬コミ新刊情報「黄泉姫夢幻VI」「まどか感想本」 - 闇野神殿の日記

C85新刊「ほむらちゃんへの愛をこじらせた果ての姿だもの!!」 by 闇野神殿 on pixiv

以下ネタバレ厳重注意
こ、このあとネタバレなんだからねっ! 注意したんだからねっ!




あるところに、おんなのこと、もうひとりのおんなのこがいました。
おんなのこは、もうひとりのおんなのこのことが、だいすきでした。
でも、もうひとりのおんなのこは、おんなのこのことを、さいこうのともだちだといってくれましたが、それは、もうひとりのおんなのこのことだけをおもうおんなのこのきもちには、まったくつりあっていませんでした。
そして、もうひとりのおんなのこは、いつかむかえにくるといったきり、ほかのみんなのために、とおいところにいってしまいました。
おんなのこは、そのやくそくをしんじて、たったひとりでまちつづけていました。
でも、おんなのこのこころは、もうこわれそうになっていたのでした。

おんなのこは、もうひとりのおんなのこをとりもどすために、あくまになりました。
そして、あくがかち、せいぎはそのちからをうしないました。
でも、ふしぎなことに、みんなみんな、しあわせになりました。
たったひとり、あくまになったおんなのこをのぞいて。
おんなのこは、はんぶんのつきのひかりのしたでおどります。
でも、だいすきな、だれよりもなによりも、せかいのすべてよりもだいすきなもうひとりのおんなのこは、おんなのこのとなりにはいません。
おんなのこは、たのしげにおどります。
でも、おんなのこは、ほんとうにしあわせになったのでしょうか?




とりあえず、まどか新編について今のうちに不完全ながら思うところを簡単に書いておきたく。
この作品、作品としては、それは凄いものです。濃密であり、緻密であり、力強い。
ただし、やはりそのラストに納得できるかどうかは難しいかもしれませんね。
実際、自分もかなりのもやもやを抱えていることは否定しませんが。とはいえ、作品について否定的になろうとは不思議と思えなかったりもするのは、もやもやしつつも、どこかに「判る」という気持ちを抱いてしまうからかもしれません。


以前から思っていたことの一つ。
「ほむらの想いとまどかの想いは釣り合っていない」こと。
ほむらにとってまどかは「全て」だけど、まどかにとってのほむらは「最高の友達」ではあっても、「まどかの全て」では決してない。
あえて言うなら。それでは、「最高の友達」なんかでは、「軽すぎる」のだ。
まどかは、常にほむらを置き去りにし続けてきた。最初にワルプルギスの夜に立ち向かったとき。濁りきったソウルジェムを撃ち砕かせ、過去の自分を救ってほしいと約束したとき。そして、「あの決断」でこの世界から消え去ったとき。

ほむらの願いの核である、「まどかと一緒にいたい」というほんのささやかな願いを、まどかは常に顧みなかった。
ほむらは、まどかに「あの決断」をさせてしまった自分を責めたけれども、結局のところ、まどかがほむらの献身に甘えすぎてしまったとも言えるのかも知れない。
まどかの致命的な誤謬。それは、「ほむらを強い子だ」と思ってしまっていたこと。
ほむらは本質的に「弱い子」であり、「泣き虫な子」である。ほむらが強く見えるのは、大切な人のために強くあろうとしているからに過ぎない。逆説的に、それは、強い者が同じくらい強くあろうとするときの何倍も、何十倍もの強さを必要とするとも言えるのだが。
ほむらの強さ。それは、ただ大切な人を強く、強く、限りなく強く愛することのできる心であり、それだけは、世界中の誰よりも強いと言えるのかも知れない。


ほむらの魔女化した姿。それは、断ち落とされた頭に、両腕を枷で繋がれ引き回される、名前はまだ公式では発表されていないが、あえてその姿の印象から仮に呼ぶなら「咎人の魔女」とでも言うべき姿だった。
その想いの深さ、絶望の深さは計り知れない。
ここで登場するのが、前作では、徹頭徹尾ほむらに対し反感を持ち続け、和解のきざしすらなく終えることとなった美樹さやかの存在。不思議なことに(あるいは当然のこととして)今作のさやかは終始ほむらに対し最も深く彼女に同情し、共感し、理解を示す。「魔女になることの苦しさ、辛さ」を最もよく知るものとして、ほむらのループを今では知るものとして。だが、そのさやかをして、ほむらの想いの本当の深さまでは測り知ることが出来なかった、と言える。
まどかは、ほむらのループの副産物として重ねられた因果により、強大な魔力の可能性を持ち、世界を書き換えた。
だが、ほむらは、自らのまどかに対する「愛」だけをもとに、濁り切り、内部飽和を起こしたソウルジェムを自らダークオーブへと再構成し、同じことをやってのけた。(愛、という言葉がこれほど禍々しく響いたことはかつてない、気がする)
そして、ほむらは自分のことをあえて「悪魔」と呼ぶ。(これは『アルティメットほむら』と呼んでいいものか?)これはあの咎人の魔女の姿の別の面でしかないと言えるかもしれない。すなわち、「今罪を受けるもの」と「いつか罪を受けるもの」の違いでしかないのではないか。
かくて、改めて美樹さやか暁美ほむらの対立、断絶は決定的なものとなってしまう。皮肉な巡り合わせと言えよう。それにしても、「今現在リアルタイムで記憶が改竄されてゆく」というのはどのような感覚なのか。かなり怖い描写と言えるかも知れない。


だが、ほむらの本質は全く変わっていない。表面的には、ストイックで真っ直ぐなまなざしの代わりに、どこか荒れすさんだ目、無駄を削ぎ落とした挙措の代わりに、媚態とも言える妖しい仕草。引き締まった口元の代わりに、淫靡につり上がった唇、とかつてのほむらとは別人のようになっている。
だが、ほむらにとって最も大切な核とも言える、まどかを、まどかだけを想い、愛する心だけは、欠片ほども変わってなどはいない。
あのとき、まどかに貰った赤いリボンを彼女に返し、彼女に微笑むその笑顔、その涙は、かつてのほむらのものだった。


暁美ほむらは、救われなければ、本当に救われなければならない。そうでなければ、この物語は終えることを許されない。
その方法は、自分が考えるにはたった一つの方法しかない。鹿目まどかだけ、世界でただひとり、鹿目まどかだけに可能なこと。
まどかは、これまでほむらの全てに自分の全てで真っ直ぐ向かい合ったことがあっただろうか?
だから、まどかは、ほむらの想いに自分の全てで真っ直ぐ向き合わなければならない。
そして、本当に、真の意味でほむらの想いに釣り合うだけの、ほむらに捧げられたものに釣り合うだけのものを、ほむらの前に示してみせること、それだけが、ほむらを救うたったひとつの方法だと、そう思う。

とりあえず支離滅裂極まりない不完全な、ろくすっぽ推敲もできていない代物ですが、今の想いのまま、今だから書けるものとして書きなぐってみました。自分はほむらちゃん大好きなので基本的にほむらちゃん中心に作品観てるとこあるため、視点がほむらちゃん基準になってるので念のため。また、言い落としたことなど山のようにありますが、それはまた、別の機会に話せれば……と。

※なんかまどかさんに厳し目な文章になっちゃってた気もするので俺まどかさん嫌いなのかとか思われませんよう。自分がみた作品の構造上こう思うということなんで! 叛逆で改めて通常まどかさんのかわいさに目覚めた感もあるくらいですから! 冒頭で自分の矢を慌てて避けるまどかさんとパン持って出てくるまどかさんと変身シーンの指差しまどかさん超かわいい!

10.28 03:02追記
10.28 03:21追記
10.28 09:35追記
10.28 22:05改稿
10.28 23:35追記
最後に。ほむらちゃん愛してる!

11.04感想続きをアップ致しました。
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