※昨日Twitterに書いた文章まとめ。長くて下のまとめでは読みづらいので、読みやすいように正順に並べ替えて一部改訂。


自分にとって「良いカメラって何だろう」と訊かれたらまず第一に「自分の意図した通りに動作してくれるカメラ」と答える。
概ね理想を言えば現行のニコンD7000に旧仕様の感度自動制御(あるいはさらに「意図優先」設定可能なもの)を載せて、AF測距点がさらに選択しやすくなれば現状理想に近い。
この「自分の意図した通り」ってのもよっく検討してみるとその背後にメーカー苦心のオート機能の裏付けがあってこそだったりする。
3D-RGB測光とかシーン認識とか3D-トラッキングとかi-TTL-BL調光とか。とくにストロボ撮影での調光精度は自分がニコンから実質で離れられない部分。
以前から何度か語ったことあるけどD300s以降の新しい感度自動制御は、そのストロボ撮影の使い勝手の部分を大きく損なった、いや、初心者向け使い勝手を余計なお世話的に考えて自分の意図通りの動作という部分を大きく損なったと云っていい。

ニコンの最大の問題点は、ときどきそういった余計なお世話的な部分をユーザーにごり押しして解除不可能な状態でカメラを作る場合があること。
この感度自動制御の件はニコンにも直接複数回にわたって訴えたのだが所詮1ユーザーの意見がそう簡単に反映されるでもなく。同じように思ってる人は多いのだが。あちこちで賛同も頂いてるし同じ不満を訴える人も実際よく見る。

まあそのことはそれはそれで置いとくとして。もし「自分にとって良いカメラの進歩って何だろう」と訊かれたら「今まで撮れなかったものが撮れるようになること」と答えるだろう。
ここ数年でそれに当てはまるものとしてはニコンD3ニコンV1、J1が挙げられる。

D3は超高感度によって今まで光量不足で撮れなかった、いや、撮ろうとさえ思われなかったものを撮ることを可能にし、カメラマンの意識さえ変えた。
V1、J1はシャッターを押した「一瞬過去」の画像を得ることを可能にしたという点において。

D3の高感度の進歩っていうのは、そもそも写真の黎明期一枚撮るのに数十分の時代から一枚数十〜数百分の一秒の時代に至るまで、進歩があるたびに撮れるものが増えていくという感材の進歩=写真の進歩という極めて正統な、ただここ数十年半程はなかば足踏みしていたに近い進歩の延長線上にあると考えられると思う。
ISO3200までなら1980年代にコニカからネガカラーで実際市販されていたし、D3の前までは民生品最高感度で拡張でも6400だったことを考えると、それを一気に一ケタ上げた、しかも2段分で25600っていうのは衝撃的だった。
以前にも書いたけど「意識の壁を破った」と思ってる。

V1、J1のスマートフォトセレクタはもっと衝撃的だ。シャッターを押す「一瞬前の」画像が記録出来るなんてのはある種次元の違う進歩だと云っていい。
コンデジでは既にあったはずだけど、あまり話題にならなかったように思う。ただ、レンズ交換式システムカメラで可能になったのは大きい。
スマートフォトセレクターってのは、シャッターボタン半押ししてる間「プレ撮影」を行い、シャッターを押した瞬間を起点としてそのプレ撮影分を記録する方式だから、「機械式フォーカルプレーンシャッター」では不可能なんだよね。センサー内の電子シャッターでなくては不可能な技術。だから旧来の普通の一眼レフでは出来ない。また、設定上カメラ任せのフルオート撮影でないとやはり不可能に近い。
これは進歩の方向がこれまでより異次元過ぎてまだその真価が理解され切っていない気はする。ニコンはプロモ下手だし。また、前述ニコンお得意の「余計なお世話」機能の自動選別やフルオートのみという仕様もいわゆるマニア的な層には受けの悪い……コンデジ機能的な受け取られ方もされやすいのだろう。

ニコン1マウントははっきりと「フィルムからの脱却」を志向したカメラシステム。だからこそマウントも変わったし、フィルム時代での発想からはあり得なかった機能も持ち、そしてセンサーサイズが「フィルムカメラ(とその互換システム)と違うからダメ」なんていう馬鹿な批判も受けているわけだけど。
だから、同時に「マウントアダプターのオールドレンズ遊びに向かない」なんて批判も的外れにも程がある。大体アダプター遊び自体が不便さを楽しむような遊びなんだから、Mモードでしかシャッター切れないとかの機能制限についてどうこう言うのはどんだけ甘やかされてンだよと言わざるを得ない。
純正アダプターのFT-1が最新AF-SレンズでしかAFが効かないのも欠点とするには当たらない。まず最新レンズの最新機能をフルに使えることが優先されているのがFT-1。旧AFレンズ対応しようとしたら無駄に高価、肥大化して実用性に著しく欠けることになる。1マウントの志向性からは正解。
旧対応が欲しいならニコンに訴えてFT-2(仮)を出してくれるよう頼むのがいいと思う。どっかのインタビュー記事でその辺にも触れてたと思うし目が無いっつーことは無いんじゃないか。

とにかく1マウントは「評価の軸足をフィルム基準からデジタル基準に移さないと」評価できないシステムに踏み込んでいる。だからデザイン面でもあえてフィルム時代の色を消すような、と云っていい方向性を持ってきたのだと判る。
一つだけ言えるのは「1マウントの評価はこれからだ」ということだけ。タイ洪水でアユタヤ工場が被災し、ニコンは冬商戦を1マウント主力で戦うことを余儀なくされる可能性が高い。これがニコンに吉と出るか凶と出るか……。

J1を買った自分として言えるのは、「1マウントはもっと正当な評価を要求できる権利がある」ということ。1マウントの世間的評価はいまだ不当だと思う。

……ところで、自分にとって悪い進歩の方向性ってのも当然あって、たとえば画素数だけを増やし過ぎて「今まで撮れていたものを撮る気にさせなくなるようなもの」ぶっちゃけてしまえばSONYの新APS-C2400万画素センサーのこと。あくまで自分にとっての基準に照らしてであり、載せるボディと用途次第で肯定的な評価も可能だとは思うが。
あの2400万画素センサーは高速連写機やエントリー機やミラーレスに載せるのには向いてないと思う……って現状搭載機(未発売含む)の全てですが。センサーの性格に合っていない機種にばかり搭載するとかSONYの見識を疑わざるを得ない。なにしろあのセンサーは高画素によって高感度性能を低下、そう、ハッキリ低下させていることが明らか。
「維持」じゃなくて「低下」。明確に高感度耐性が悪化しているのだから。これまでのAPS-C最大画素数だった1600万画素センサーがその前の1200万画素センサーから画素数を増やしながら高感度などの総合性能も向上させていたことを考えるなら、これはむしろ改悪であると云うしかないだろう。
つまり、あのセンサーでは、それまでの1600万画素センサーで撮れていたものが撮れなくなる……「撮影行為」は出来てもその結果の満足度は低下する。または「撮りたいと思わなくなる」即ち『撮影の幅が狭くなる』センサーだということ。これは自分の基準では「よくない」ということ。
そりゃ1600万画素と2400万画素、『基準感度(それぞれ最上の結果が出るように)で撮り、並べてよっく見比べれば』そりゃ2400万画素が『解像度だけでは』優れているでしょうよ! だがそれは「撮影領域を狭めてまで」手に入れたいようは深さだろうか? 1600万画素って「その画像自体を見て』そんなに不足か? 俺には疑問。

※下に元ツイートまとめがあるから見比べれば判ると思うけど、若干誤字訂正と付け足し程度。基本的に前から考えていた内容だけど、ツイッターが無かったら書かなかったかも。
ライブ的に考えながら書いていけるっていうのはツイッターの利点であり欠点でもあると思う。要はツールだから上手く使って付き合っていければいいんじゃないかな。